沿革

 物理工学科の沿革

明治30(1897)年6月18日,勅令により京都帝国大学が設置され,同日官制が公布された.最初に機械工学3講座を含め合計21講座からなる理工科大学が開設されることになった.これが機械工学教室の始まりであり,同時に京都大学の始まりでもあった.理工科大学は大正3(1914)年7月に理科大学と工科大学に分けられ,工科大学は,機械工学科を含む5学科26講座で構成されることになった.さらに大正8(1919)年には,工科大学は工学部と呼ばれることになった.

第二次世界大戦後の昭和22(1947)年,「帝国大学官制」は「国立総合大学官制」に改められ,「京都帝国大学」は「京都大学」と改称された.さらに,昭和24(1949)年,「国立学校設置法」が制定され,「学校教育法」による国立大学,いわゆる新制大学としての京都大学が発足した.当時,工学部は機械工学科7講座を含め,11学科64講座を擁していた.

昭和30年代に産業界は高度経済成長期に入り,科学技術の振興と理工系学科の拡充という政府の政策によって,工学部では大幅な学科増設や改組・拡充が行われた.機械工学の分野においても,技術革新により多数の技術者が要求されるようになったことを背景にして,機械工学に関係する多くの学問分野の中から,特に生産と制御に関する研究と教育に主眼を置いた学科として,昭和35(1960)年に精密工学科が設置された.また,工学の急速な発展から各種機械の高能率化や自動化に適する設計等の研究が必要とされる状況に対応して,昭和37(1962)年には,機械工学の基礎的原理に重点を置く新しい学科として,6講座によりなる機械工学第二学科が新設された.

その後,拡大し多様化した産業界から,環境と調和した機械工学の発展と,従来の専門分野にとらわれない境界領域の開拓という強い要請があり,機械系工学科では,昭和50(1975)年,機械工学の新たな展開を教育・研究上で実施し,創造的な技術開発を担う研究者・技術者を養成するために改組・拡充を行い,機械工学科8講座,精密工学科6講座,物理工学科5講座で出発することになった.

京都大学では,近年の先端化した科学技術の要求と,21世紀に向かっての高度な基礎研究の一層の充実と新たな学問分野への進展の必要性に応え,さらには多面的かつ高度な専門能力を有する人材の育成を目指して,教育・研究の重点を学部から大学院に移行させるいわゆる大学院重点化を目的とした改組を平成5(1993)年から実施した.

学部については,従来の機械系工学科(機械工学科と物理工学科)と精密工学科は,平成6(1994)年に,航空工学科,金属加工学科,冶金学科,原子核工学科とあわせて物理系7学科で,大学科である物理工学科を構成することになった.学生は一括募集し,第1,2学年における基礎科目については共通講義を行い,第3学年進学の時点で,学生が将来進む方向に合わせて若干の専門性を取入れたコース(学科目)制を敷いた.

このとき,従来の機械系工学科と精密工学科に対応して機械システム学コースが,後に述べるエネルギー応用工学専攻あるいはエネルギー科学研究科につながるエネルギー理工学コースが設けられた.

(京機会ホームページより一部抜粋)